一般財団法人弘潤会 野崎病院
看護師
Ellaso Girlie Repolles(エラソ・ガルリ・レポレス)さん・2019年来日
フィリピンの総合病院にて2年間看護師として勤務後、サウジアラビアの病院(産婦人科) に2年勤務。その後2019年度日本・フィリピンEPA看護師候補者として来日。AOTS関西研修センターにて来日後研修を6カ月受講後、宮崎県にある野崎病院で看護師候補者 として就労を開始。勤務しながら国家試験の学習をし、2021年に看護師国家試験 に合格。現在は看護師として同病院の内科病棟 を担当。
EPA事業への応募したきっかけと、日本に来てよかったことを教えて下さい。
日本への来日をすることになったのは、先輩の勧めがあったからです。多くのフィリピン人の仲間が日本に行って看護師として活躍している様子を見て、私もその一人になりたいと思い、応募しました。多くの応募者がいる中から選抜されて、日本に来ることができてとてもうれしいです。
新しい言語を学ぶことや新しい文化を体験すること、新しい友達と出会うこと、夢見ていた場所に行くことなど、多くのことができて良かったと思います。日本語を学んで、違う文化の国で生活することは難しいですが、自分の人生の多くの学びに繋がり、個人的な成長の機会となりました。
就労開始後に、新型コロナの感染拡大が始まりましたが、その中で、仕事や国家試験の勉強をどのようにしていましたか。
EPA候補者の時は、午前中は仕事、午後は専門の試験勉強を毎日していました。
他にも病院では週1回、2時間くらい日本語クラスがあり、他のフィリピン人候補者と一緒に勉強をしていました。
毎日午後の専門の勉強では、自分で勉強をして、わからないところを指導担当のスタッフに聞いて苦手をなくすようにしていました。
コロナの影響でなかなか外へ出かけられませんでしたので、ストレスがたまったときは、家の中で趣味の絵を描いたり、フィリピンの友人とテレビ会話をしたりして過ごしていました。
国家試験に合格した後、周囲でどんな変化がありましたか。
2020年、2021年と2回受験して国家試験に合格しました。資格を取る前は、看護助手として、看護スタッフのサポートや患者様のお世話(食事介助、排せつの介助や誘導、着替え等の生活支援)だけしかできなかったのが、資格取得後は看護業務(薬の与薬、点滴、注射等の医療行為)ができるようになりました。器具でいうと、吸引器や、輸液ポンプも一人で使えるようになりました。点滴や注射は国でもしていましたが、日本では資格がないとできません 。また、これまでは指示を受けながら看護師のサポートをしていただけでしたが、今では1人で看護業務をして、毎日の看護記録をつけ、看護サマリー(看護記録3か月分をまとめたもの)の作成もできるようになりました。
国家試験に合格し、看護師として働くことで給料も上がりました。しかし、免許を持って働くということは、より大きな責任を持つことの意味があります。職場での行動には注意しないといけないと思います。
コミュニケーション面での変化はありましたか。
自分はまだ資格を取ったばかりなのと、シャイな性格なので、カンファレンスの時に発言することはまだしていませんが、意見を聞かれたり質問されたりする機会は増えました。他のフィリピン人看護師の先輩はカンファレンスでも発言をしているので、自分はまだコミュニケーションで苦労することもありますが、毎日チャレンジして少しずつ意見が言えるようになりたいです。
今後、チャレンジしていきたいことはありますか。
今は、病棟担当として決められた病室の薬の担当、点滴の担当をしていますが、今後はリーダーになって、病棟の患者様の治療内容を決めることができるリーダーの仕事をしてみたいです。
これからEPA候補者になる人、就労を始める後輩EPA候補者に向けてメッセージをお願いします。
皆さんお元気ですか。勉強がんばっていますか。皆さんそれぞれ日本で働きたい理由があると思います。新しい言語を学ぶことは本当に難しいですね。でもがんばればできると思います。日本に来るときは、文化が違うので身体的、精神的に準備することが必要だと思います。簡単な旅ではありませんが、誰もがこのような機会を 与えられるわけではないので、がんばって日本での旅を楽しんでください。諦めたくなったら、始めた理由を考えて、前向きに進んでください。自分を信じて夢を叶えましょう。皆さんがんばってください。
※本インタビューの内容は、2022年2月7日時点のものです。