現地経営者・識者に聞くインドの人事労務と日本企業の課題 --インド人との付き合い方からインド式人事労務管理まで-- (3)

インドビジネス体験によるインドの人事・労務業務に関する考察
-人事の選定・採用・離職問題を中心に-

 

 

 

 

 

中島敬二
Nakajima Consultancy Services LLP

 

1.インド企業の人事・労務関係の基本的認識

私は、住友商事株式会社で15年間、インドのビジネスに携わりました。その後Swaraj Mazda Ltd. Indiaで3年間、役員として働きました。現在はインドでMisaki Plastic Technologies Pvt. LtdとNakajima Consultancy Services LLPを経営しています。
そうした私のインドにおけるビジネス経験を元にしてお話します。まず、インド企業の人事・労務業務の対象と言っても、相手は「人間」です。従って世界共通の人間特性とインド特有のインド人特性を正しく理解し、それを踏まえた対応が必要となります。

人事・労務管理には誰にでも適用できる万能薬はありません。インド人従業員への対応は万国共通であり、決して特殊なものでないのです。
基本的には日本人従業員への対応とまったく同じであり、インドのやり方に安易に迎合する必要はないと考えています。
要は、「厳しさ(規律)」と「優しさ(理解・思いやり)」の両方の精神で対応すればよいのです。

ただし、日本と歴史・文化の異なるインドでは、インド流のやり方に長年慣れているインド人従業員は万国(日本を含む)共通のやり方に馴染みがなく、理解できていないこともありますので、実際面では、インド人の慣習やインド人特性を加味した対応が必要になります。

その際に注意すべきことは、巷で語られるインド人特性を絶対視しない、決めつけないことです。あくまで自己の経験に基づいたインド観・インド人観で対応すべきなのです。
そのためには自らがインド・インド人をできるだけ理解するため継続的勉強が必要です。
インド人と腹を割って付き合えば、自己主張は強いが人懐こくウエットで、浪花節精神を持つ、思いやりのある人たちも多いことがわかります。比較的友達になりやすい国民でもあるのです。

人事・労務の業務は日本人が担当するのではなく、信頼できるインド人に担当させ、そのインド人を管理するやり方のほうが成功率は高くなります。
仮にこの面で能力及び経験がある日本人がいても、そのようにしたほうがいいのです。

その理由として3つ考えられます。まず、1番目に、日本や他国にての人事・労務業務経験をそのままインドで適用するのは難しいことです。
難解で複雑な法律知識やインド人に対する相当の理解も必要となります。2番目に、人事・労務面ではインド人と完全にコミュニケーションをとることはほぼ不可能と思って行動したほうが良いからです。
言葉の問題、異なる企業文化、常識では理解できない面もあるインド人がいますので、誤解・認識不足は避けられないと考えなければなりません。3番目に人事・労務はいくら立派なシステムを作っても、それを活用する人次第であり、仮にこの面での能力が優れている日本人スタッフがいて、日本人中心の人事・労務管理をうまくできたとしても、その人がいつまでもインドに駐在するわけではないからです。
海外会社の人事・労務に巧みな日本人社員が後任者となる保証はないのです。

2.人事担当責任者の選定・採用の重要性

インドで優良な企業とするためには、優秀なインド人人事部長の存在が不可欠です。人事担当責任者は3つの条件が揃った人物でなければなりません。以下の点を満たしている必要があります。

(1) 人事・労務に関して十分な知識を持った人(法律知識も含む)

(2) 性格が良い人(誠実・嘘を言わない)、人間包容力のある人(清濁合わせ飲める人)秘密を守れる人、日本的考え方を理解できる人

(3) 人事・労務業務の経験のある人(知識だけでは業務はできない)

3.採用の際の注意点

インド労働法が労働者保護に手厚く、社員の解雇が非常に厳しいことを考慮し、慎重に採用する必要があります。以下の点がチェックポイントとなります。

(1) 初対面の面接で騙されない。自己PR過剰の人などがいるため、1~2回の面接だけではわからない。

(2) 履歴書の虚偽申告もたびたびあると心得る。

(3) 人事担当責任者の縁故関係者の採用には慎重に対応する。

(4) 政府関係者及び取引関係者の個人としての採用依頼は慎重に対応し、原則断る姿勢をとる。

(5) プラス面とマイナス面がある同じ出身地の人の採用偏りは避ける。

(6) 転職歴の多い人の採用は極力避ける(せいぜい2回程度とする)。これらの人は会社の都合・利益よりも個人的利益を優先する人である傾向がある。

4.離職問題(転職防止)

基本的には、終身雇用という日本企業の慣習は特殊であると認識を持ったほうがいいでしょう。世界の常識は、チャンスがあればよりよい条件の会社に転職することは当たり前です。
また転職はより広くより深く経験・知識が増える場であり、個人価値を高めるチャンスと考えます。特にホワイトカラーにこの傾向があります。
従って、インド人は会社に対するロイヤルティが原則ないと考えておいた方が無難です。彼らは会社を自己のキャリア・アップの場として位置付けていると考えています。

退職依頼(届)は突然やってきます。私の体験では、退職の申し出があった時は、すでに転職先を決めている場合がほとんどです。
退職を思いとどまらせるという努力はほとんど無駄になるケースが多いです。また、強く翻意を要請すると、会社はこの社員に対して弱みを見せるばかりでなく、他社員に対する悪影響が甚大となります。従って、社員がなるべく退職を申し出てこない状況設定を作ることがより肝要となります。
特に、優秀な人間ほどすぐに転職しますから、優秀な人材維持に留意・工夫が必要となります。

(1)退職を申し出る主な理由
退職を申し出る主な理由として、金銭問題、人間関係上の不満、給料以外の処遇の問題があります。

(a)金銭問題
退職を申し出る理由として、給料が絶対的に安いことがあげられます、また、給料レベルには一応満足していても、会社が各自の給料を機密にしても社員同士で情報交換する傾向がありますので、他社員(同グループに属する他社員も含む)との比較で給料が安い場合や、給料レベルには満足しても、他社員より昇給額が少なく、また昇給ペースも遅い場合にも 退職を申し出ます。
給料が絶対的に安くはないけれども、他企業からより高い給料のオファーがあったとき、基本的給料はまずまずであるけれども厚生福利に満足できないとき、たまたま会った大学時代の同級生との給与比較をして申し出るケースもあります。

(b)仕事内容の満足度と会社(特に上司)との人間関係上の不満
本人が自分に適する仕事ではないと思っているのであれば、はやく辞めさせた方が本人にとっても会社にとってもいいことです。
また、キャリア・アップできる機会が少ないと考えたり、自分の能力に比べ、与えられた仕事内容が小さすぎると考える場合もあります(インド人には自信家が多いのです)。
会社は本人の能力に呼応した業務を十分に与えていると考えていても、野心家(自信家)のインド人社員は「大きな仕事ができない」「大きな仕事を与えられない」と考えて辞める場合があります。また、厚遇されている他社員に対する妬み、会社(上司)の特定社員に対する贔屓に抗議して辞める場合もあります。
自分の意見が会社に反映されない、上司が自分の業績を評価してくれない、あるいは、上司が自分の業績を上司の業績としてしまう、上司から嫌われている、信用されていないと感じている場合も同様です。

(c)給料以外の処遇
給料面である程度満足感を感じているインド人にとっては「お金」より「プライド」が大事になります。
彼らにとっては仕事内容(やり甲斐)・役職・昇格が重要になるのです。この処遇に不満を持っている社員はいくら給料面で 厚遇されても退職する可能性は常に存在します。
給料が同レベルでもより高い役職に魅了されて簡単に転職します。

(2)離職率をできるだけ低下させる方策とは
離職率をできるだけ低下させる方策のキーワードは、ずばり「お金」と「プライド」(仕事内容・役職等の満足感)です。この不満度をできるだけ少なくするような常なる配慮・努力にかかっています。

(a)給与
会社に残って欲しい人材に対しては、給与差は小さくてよいから他社員より大目の給与を払ってもよいと私は考えています。
給与設定および昇給は本人の能力・実績・会社での(業務上の重要性)を考慮したものに基づくようにし、グループ企業内の給与格差にも配慮しながら他社、特に同じ業界の給料を考慮した設定をします。

(b)給料改定・昇給
給料の昇格基準を明確化し、会社で頑張れば、給料は上がるというメッセージを与え、会社への信頼性を醸成させることが必要不可欠となります。
また、他社の昇給状況と物価を考慮した昇給、すなわち、社員に納得感を与える昇給でなければなりません。
すなわち、他社員の昇給額及び昇給ペースによる不満をできるだけ少なくする配慮をしながらも、本人の能力・実績に応じた公平な給料と昇給ということになります。
また、能力に差がないのであれば、年功序列による昇給というのも一案です。

(c)昇格
能力主義・成果主義に年功序列を考慮した昇格がいいでしょう。好き嫌い等感情抜きの公平な昇格人事を実施するための透明度の高い評価制度の構築が必要です。
注意すべきことは、昇格は離職を防ぐ有効な手段ですが、安易な昇格人事は弊害にもなりますので、あくまでも本人の能力と実績及び勤務態度をベースとした慎重な態度で臨んだほうがいいでしょう。

(d)人材育成とモチベーションとけん制
インド人社員に、この会社は社員を大切にする会社であり、しっかり真面目に働けば自己価値を高められるという認識を持たせ、そのための対策を立案し実行します。会社経営方針を明確にして、これを社員と共有し、参加意識を植え続ける必要があります。
そして、本当に仕事ができる優秀な社員で将来幹部にさせたい人材は、特別の育成プログラムを作成して実行するのがいいでしょう。
ただし、その選定には公平さ、他社員への納得性がなくてはなりません。
社員のマンネリ化防止・不満解消・モチベーションアップと最適人的配置の観点で昇格を含めた配置転換も時には有効です。
さらに、研修を目的とした日本本社・工場への派遣や福利厚生の充実、日本語研修も有効です。日系企業に勤務する社員は日本語習得願望が強い人が多いからです。

(e)人的交流(良好な人間関係作り)~全員参加型の企業文化作り
インド人社員は日本人スタッフに認めてもらいたいと願望があり、日本人スタッフとのより多くのコミュニケーションを願望していますので、定期的個別面談、朝礼など、社員との一対一のコミュニケーションの機会を作りましょう。こちらから積極的に声をかけたり、名前を呼んだりする配慮も必要です。
日本人スタッフとインド人スタッフの交流を積極的に 推進するのです。懇親パーティ、社員の冠婚葬祭行事への出席、時には家族の工場見学の実施などを通じてインド人社員の家族について関心を持つことも有効です。特に優秀な子どもを持つ社員には、子供のことを極力話題にして、かつ褒める配慮をします。
また、時と場合によって、自然体でインド人と個別に食事をする機会をできるだけ多く持ったり、社内報作り、カイゼン活動、CSR、労働安全管理委員会等などで、できる限り広い会社の活動にインド人社員を積極的・自発的に参加させる仕組みを作り、全員参加型の企業文化作りを心がけます。

5.社員の育成・能力開発

人材育成後に辞めてしまう可能性は確かにあります。だからといって、これを恐れていたら何も育成できません。
また、日本等海外への派遣者選定には慎重に考え、結果を出し、人間性の良い人を選び、人選に漏れた人のモラル・ダウンにも配慮し個別アフター・ケアを考えたほうが良いです。
自分は会社に認められ、他の人より高い評価を受けているとの認識をインド人社員に持たせるのは、ひとつのモチベーションとなり、仕事面でプラスになります。
ただ、過度の思い上がりはマイナスとなるので注意が必要です。

6.労働関連の法律及び労働組合への対応

一言で言えば、労働に関する法律は基本的なポイントだけ知っていればよいと、私は思っています。
あとは法律に詳しいインド人社員か法律コンサルタントに任せた方が無難です。労働組合はない方がいいのは当たり前ですが、労働組合がある場合は、労組の幹部が気にしているのは何かを理解し、組合員に評価されることが理想です。しかし、安易な妥協は禍根を残します。
また、強気一本では問題が発生しますので、柔と豪をバランスよく考える必要があります。

労組幹部と人事部幹部との関係には細心の注意を払いながら、会社の弱みを作らないこと、労働組合幹部間でも派閥がある場合は、双方の派閥幹部との良好な関係作りに注意を払うことが肝要です。