インドにおける労使の信頼関係構築のためのヒント
質問:インドと日本の係わりについて、特に人事労務管理事情についてインタビューを受けてくださり、感謝いたします。まず、最初にAshok Sharmaさんのキャリアと日本企業との係わりについてお聞きしたいのですが。
私、Ashok Sharmaは、現在、人事労務をはじめとした経営コンサルタント会社であるSAR Global Business Solutionsの社長をしています。私の仕事のキャリアは、人事労務分野の大学院を卒業した1980年に始まりました。
まず、カナダの企業Bata India Limitedで働き、イギリスの合弁企業のオフセット印刷機械の企業で12年間、働きました。それから、イタリアとの合弁企業、ドイツ系の製造会社に移り、住友商事株式会社で1997年から 2009年まで、おおよそ12年間働きました。
その後Jindai Steelというインドの製鉄会社でシームレス・パイプ製造部門と関連会社3、4社の人事と戦略計画を担当しました。
現在では自分の会社を立ち上げ、多くの日本企業を顧客に持っています。私の仕事の中核は、インドに進出する日本企業の事務所・工場の開設・操業の立ち上げのお手伝いです。
その他、日本企業によるインド・プロジェクトの実行可能性や利用可能な原材料のリサーチをお手伝いしています。
ある日本企業は何度もインドを訪ね、私が彼等をガイドしてインド国内をくまなく回ったこともありました。
バイオマスをリサーチしていましたので、インド政府や州政府の政策を紹介し、何かリサーチに助けになり、インセンティブを与えるものはないか調査しました。
このように日本企業とはご縁があります。
また、住友商事で働いていたときは、労働法マネジメント、インド社員のリクルートや内部のルールや施策作り等、人事労務の全分野をカバーする仕事をしていました。
住友商事のインドの5つの事務所を担当していましたので、私も仕事を通じて学ぶところが多くありました。社風、時間厳守、企画作成などを深く、詳細に学ぶことができました。
質問:私達もムンバイで、インドの優良企業を見学する機会があり、そうした企業が日本的経営やカイゼンの手法などを学んでいることを実感しました。インドの企業は、日本的経営や進出した日本企業から学んだことで、物の考え方が変わったと言えるのでしょうか。
そのとおりです。多くのインド企業は日本的経営、特に生産管理手法に関心を持っています。生産には計画、品質、多能工育成などの要素を含んでいます。これらについてカンバンシステムなどの日本的手法は非常に優れているのです。
ご存知のように、かつて、インド企業の生産レベルは高くありませんでした。稼働率、生産能力、生産における国民への貢献は低かったのです。日本的手法を学ぶことにより、インド企業の多くの分野で生産の改善と向上が見られました。インド企業は日本的手法を取り入れ、その手法を信頼しているのです。
もうひとつ、別の観点から言わせていただければ、インド人が、ドイツ、フランス、イギリス、日本の企業の中で1つを選ぶとしたら、おそらく、日本企業を1番目に選ぶでしょう。
なぜなら、日本人は忍耐強く、深く物事を理解しているからです。他国の企業と比較した場合、日本企業の有利な特徴となるのではないでしょうか。
質問:日本企業もインドでビジネスを行う場合、インドの優良企業に学ぶ点があるかと思います。日本企業は、どのような点をインドの優良企業から学んだら良いとお考えですか。
インドの企業に日本企業が学ぶべき点がいくつかあります。特に、従業員マネジメントの分野にあります。
もちろん、日本の人事管理システムもいいと思いますが、インドでは違った意味で、インド的特殊条件の中で、それらを調整しながら従業員を巻き込まなければなりません。
生産管理、品質管理、在庫管理について、もちろん、我々、インド人は学ばなくてはなりませんが、日本企業も従業員に対する対処の仕方に注意して、インド企業 から学ぶ必要があります。なぜなら、インド人は、日本人と比較した場合、より個性が強いからです。
日本人はチーム・プレイヤーですが、インド人はある意味、個人主義的です。この側面を注意して対処しなければなりません。
質問:もう少し、人事労務管理の分野に限って詳しく説明していただけますか。
まず、日本企業は、従業員の対処の仕方について、インドのHRMを学ぶ必要があります。日本企業における労使の関係は、文書による取り交わしたことは守るという信頼関係からなっていますが、日本企業のジョブ・ディスクリプション(職務記述書)は、あまり詳細にわたって記述されていません。
しかし、インドでは従業員がすべきことが詳細に書かれたジョブ・ディスクリプションが求められます。なぜなら、労働組合が強いインドでは、組合の役割は従業員やその雇用を守ることに焦点があたるからです。
日本では企業別組合ですので、労使の話題は企業の中での問題に制限され、第三者の影響は受けません。ワーカーと経営者は一緒に座り、議論し、組織全体の利益を考え、会社一体となって決断し受け入れます。
一方、インドの労働組合は、ご存知のように、より政治的影響を帯びているのです。また、インドの労働組合は工場組織単位に限定されず、政党の傘下にあることで、常に外の労働組合の影響を受けます。ちゃんとしたジョブ・ディスクリプションがあれば、交渉の際、大いに助かるのです。
質問:しかし、インドの優良企業の中には、1経営に1組合政策で行っているケースや、組合は外部からの影響を受けないという協定を経営側と労働組合で結んでいるケースがあります。日本企業がこのようなことをするのは、難しいのでしょうか。
前に述べたとおり、インドの組合は、基本的に政党の影響を受け、外部からの影響を受けます。ワーカーに、経営者とワーカーだけで決着をつけることを理解させるのは、実際、大変難しいです。外部からの影響を小さくするのは簡単ではないのです。なぜなら2つの理由があります。
まず、第1に我が国の労働法がそのようになっているからです。法律を止めることができませんから、我々は従業員により成熟した大人の対応を理解させるべきなのです。
このためには彼等の信頼が必要です。一旦信頼が生まれたなら、それにふさわしい従業員政策を掲げ、従業員の関係や生活水準の改善を進めていくことが可能になるでしょう。
質問:今のご説明の中に、なぜ優良企業では1経営1組合政策が可能なのかの答えがあるかと思います。そこではすでに労使の信頼関係が構築されているから可能だと思われます。そのような信頼関係がない企業では、外部の影響にいまだ苦しんでいるではないでしょうか。
その通りです。さらにここに付け加えれば、多くのインド人人事労務マネジャーは、会社の中に組合を結成する動きがあれば、嫌悪しますし、そのニュースが伝わると、潰そうと挑みます。それは危険です。相手に同じ力で対抗しようとするからです。
なぜ、経営者は組合を結成することを認めないのかと、ワーカーに反発が起こり、相互信頼をなくします。別の考え方が必要です。彼等は、なぜ組合を結成しようとしているのか、なぜ?と問い詰める方向が必要です。
質問:よく、インド人ワーカーは英語がわからないから、日本人経営者は、彼等とコンタクトできる優秀な人事労務マネジャーをリクルートしたほうが良いと言われていますが。
インドには英語ばかりでなく、様々な言語があります。北部ではヒンディー語、パンジャビ語、西部にマラティ語があり、南部にタミル語、テルグ語等様々です。英語は多くのインド人にとって共通言語ですが、基礎的な学歴のみを有している人にとって、英語が得意とはいえません。ほとんどのワーカーは、学校をドロップアウトしたか、最大限見積もっても10学年か12学年の高卒の学歴です。
同じ言語を知らなかったらコミュニケーションもありませんし、こちらの意図を伝えられません。彼等が理解できる言語、例えばマラティ語、タミル語、パンジャビ語でコミュニケーションすることが現実的なのです。
確かにジェスチャーで話すこともある程度は意図を伝えられますが、密度の濃い、詳細にわたるコミュニケーションは不可能です。
質問:他国、例えば、アメリカ、ヨーロッパ、韓国の人事労務マネジャーと比較して、日本人人事労務マネジャーに対する、ワーカーやローカルスタッフの評価はいかがでしょうか。
まず、これから述べることは少々厳しいコメントが入るかも知れませんが、日本人とインド人の人間関係をよりよくするために、話すことなのでご容赦ください。
多くのインド企業が、人として日本人マネジャーを好むでしょう。忍耐強い特質があるからです。しかし、一緒に仕事をした場合、日本人の考えを押し付けようとすることもあります。彼等自身はハードワーカーで完全主義者であるため、同じように働いてもらいたいのですね。
すべての仕事は、ちゃんと仕上げ、時間を守るべきだと考えています。しかし、インドにはそのような考え方はありません。そこにギャップができます。この製品は駄目だ、このようにしなければならぬと、日本人からの要求プレッシャーは限りなく高いのです。
また、ヨーロッパや韓国のマネジャーと異なっている日本人マネジャーの特質として、仕事で使われる言葉にこだわりの感情が込められていると感じることがあります。決して良い悪いということではありません。
理屈はこうであるが、自分の関心、懸念はここにあるという言い方ですね。西洋式のマネジメントは基本的には感情抜きで行われます。夕方に従業員がメモを渡され、そこに明日から来なくてもよいと書かれていることがあります。
質問:日本企業の場合、本社の要求が他の国よりも強いということが見られませんか。
大いに的を得ていると思います。日本企業の子会社では本社の影響がとても強いです。 何千キロも離れているため、インドの現実を知らず、インドの何事にも惑わされずに、理論的に処理しようとします。
また、現地の日本人社員も本社と同じ見解ではないのにもかかわらず、本社の意向に強く依存しています。それを翻すことができません。本社の意向、コントロールは、ときどき、とても強くなるのです。
質問:インドでの人事労務管理、ワーカーを含むローカルスタッフとのコミュニケーションをいかに図るかの基本的なキーポイントをお話していただいているわけですが、シャルマさんが実際に体験した例をひとつ、ふたつ、お話してくださいませんか。
インドの製造企業は、毎年9月17日にイベントを開き、家族を工場に呼びます。
この17日はヴィシワカルマ・デイという祝祭日となっています。ヴィシワカルマはエンジニアリングの神様で、私達は、この日は働かずに、朝に少しお祈りして、従業員の妻や子供達、家族みんなのためのランチを用意します。
それから、様々なゲームを用意します。子供の競争ゲーム、妻達のための競争ゲーム、それから従業員達のバレーボールの試合などをし ます。賞品も出ます。
このイベントでワーカーの多くの家族達と会い、彼等の妻や家族と互いに知り合います。
あるとき、組合と労使問題が起こり、交渉がうまくいかなかった事がありました。
組合は断固として主張を曲げません。組合は何百ルピーも要求しましたが、 我々は出せる余裕は50ルピーであると言いました。組合は要求を百ルピー以下の賃上げには絶対に応じず、我々はデッドロックに陥り、ストライキが発生しました。
1、2日経ち、私はワーカー達の家を訪問し、彼等の家族と話しました。ワーカー達の両親や妻、子供達に、この問題を率直に説明しました。我々はこれ以上、出せないのです。利益をシェアするつもりだし、より利益が出たらさらに賃上げをするつもりです。
でも今は、これだけですと。3日目にワーカー達は、家族に工場に働きに行くように説得され、労使問題は解決し、工場が稼動したのです。
質問:シャルマさん、日本の企業にもワーカーの家族や工場近隣の村の人々との交流が要求されるでしょうか。
はい、そう思います。何千人もの従業員がいる場合、ひとりがすべてのワーカーとその家族と会うのは不可能でしょう。しかし、4人、5人、6人、10人だったら協力して、近隣の村のホーリーフェスティバル、ディワリなどの祝日に出席でき、ギャップを埋められます。
質問:経営や生産に係わる日本人は、経営トップばかりでなく、多くの駐在員も、ある程度インドの習慣や言語を学ぶべきで、少なくとも好きになるべきだと思いますか。
まあ、そうかも知れません。こういうことがありました。5、6人の日本人が日本語で何時間も話していました。インド人達も座っていたのです。
ある人は、気にしないというかもしれませんが、別の人は、日本人は私達に配慮していないと考えるでしょう。私達もこっそり問題を話し合いますが、そうした場合、インド人は、別に部屋と時間を取ってミーティングを行うのです。
一緒にいるときは、共通言語でコミュニケーションを図らなければなりません。こうしたことを実行していくと、「きずな」は強くなるのです。
質問:私達、日本人は、真のグローバル化は、まだまだだと認識しなければなりませんね。
そうかもしれません。インドのような国に適応することは、多くの日本人にとって、場合によっては難しいかもしれません。
しかし、日本以外では、その国の社会システムに沿った行動が求められます。
もうひとつ、伝統的なインド企業、貿易に従事している小さな会社の実例をお話しましょう。
その会社は決して従業員の給料は多くないのですが、毎日、オーナーと従業員が一緒にランチを食べているのです。ランチはオーナー、従業員とも同じものです。
従業員の給料は他の会社と比べて半分かもしれませんが、従業員の娘が結婚するとき、オーナーは一時金を手当てすることになっています。それが従業員にとって望ましいことなのです。
インドでは結婚式に多くのお金が使われるのです。そのためにいろいろと節約をし、医者に行くのも控えることがあります。十分な給料を得れば、節約できますが、そうでなければ難しいでしょう。ですから、オーナーはこのようなとき従業員を助けるのです。そうしたことで、従業員は自分がビジネスの必要不可欠な人物として待遇されていると理解し、将来に不安を感じずに一生懸命働けます。
会社とオーナーが自分の財政的問題やその他の問題を解決してくれるからです。
この種の感覚こそが、人々を労働への一体感に駆り立てると思います。インドでも、日本でも、どの国でも、こういう関係が理想的な人間関係として求められていると思いますし、私はチャレンジに値すると考えています。
質問:どうもありがとうございました。